雨に降られて
晴天が不意に暗く変わり、大粒の雨が降り注ぐ。突然の天候の変化に、表を歩いていた人々は、慌てて屋根の下に避難する。
買い物のために外出していたユリンも例に漏れず、近くの軒下に駆け込んだ……のだが。
「あ」
「げ」
先客の、藍色の着物を着流したアツヤの顔を見て、思わず声が出た。向こうも向こうで、ユリンの顔を見て嫌そうな声を出す。
「ったく、寄りにも寄ってお前か、タオ」
「それ、あたしが言いたいんだけど」
「嫌なら余所に行けばいいだろう」
「え、何でさ。やだよこんな土砂降りで。君が出れば?」
過去の誤解は一応解けたとはいえ、二人の仲が良くなった訳では無い。
睨み付けてくるアツヤに対し、ユリンは大仰な動作で溜息を吐いた。
「大体、何でまだここにいんのさ。君の役目は終わったでしょ?」
「終わるか、馬鹿。元々お前を連れ戻すのが俺の役目だ。手ぶらで楼に帰れるものか」
「はいはい、お役目第一で結構ですこと。あたしとしてはさっさと帰って、タオは死んだとでも言って欲しいんだけど」
「貴様……っ!」
ユリンの胸倉を掴みかけて、アツヤが苦痛を堪えるように顔をしかめ、その場にうずくまる。
「え、ちょっと、大丈夫?」
「触るな」
伸ばした手は、軽い音と共に払いのけられる。
「お前に心配される謂れはない」
「ふうん? まあ、そう言うならほっとくけど、病院とかは……行ってる訳ないか。君、ああいう所嫌いだもんね」
仲が悪いとはいえ、幼い頃から同じ妓楼で育った者同士、互いのことは嫌でも知っている。
しばらくは雨音が地面を叩く音だけが聞こえていたが、そのうちに雨足も収まってきた。
ユリンも買い物を続けようと軒下から出ようとしたとき、後ろから押し殺した呻き声が聞こえて思わず足を止め、後ろを振り返った。
視線の先では、アツヤが顔を歪めながら立ち上がろうとしている。
「手、貸そうか?」
アツヤは一瞬、睨み殺しそうな目でユリンを見上げた。
「…………頼む、くそっ」
舌打ちするアツヤに手を貸して立たせる。今どこにいるのかと聞くと、三区の貧民街――ナーヴェールの家だと返ってきた。
「そうだ、ナーヴェ、どうしてる? ずっと見ないけど……お母さん、亡くなったんだってね」
「気になるんなら、励ましの言葉でもかけてやってくれ。ずっと墓にいるか、二階の部屋に籠ってるかのどっちかなんだ」
ふとユリンが顔を曇らせる。
「あぁ、駄目だよそれは。あたしじゃ何にもできない。励ますのは、たぶん君の方ができるよ」
「何?」
ユリンの言葉に、アツヤが眉を上げる。
「だって、あたしは家族が……親がどんなものかって知らないもの。父親が誰か知らないし、母親に関しては産んでくれた人ってだけで、それ以外に何とも思わないもの。……ま、君に言われた『薄情』ってのは当たってるのかもね」
自嘲するような響きに、俺もだ、とアツヤは言葉を返す。
「え?」
「そこは俺も同じだよ。父親の顔なんざ知らないし、母親は、生まれた後に石でも付けて沈めてしまえば良かったなどと抜かしやがった」
だから女は嫌いなんだ、とアツヤは呟く。ユリンは特に何も言わず、肩を竦めた。