A Piece of Pie
ぐう、と、腹の虫が空腹を訴える。今日は朝から何も食べていない。何か食べ物は得られないかとあちこち歩きまわってみたが、その成果はなく、カワードは空き腹を抱えてねぐらへの道を歩いていた。
(……ん?)
風に混じって、澄んだ音色が耳に届いた。誘われるように、カワードの足はそちらに向かう。
音の出所は、割合すぐに見つかった。廃墟の屋根に腰かけて、ユリンが笛を吹き鳴らしていた。夜風に赤い髪が揺れている。
静かなメロディが、夜に溶けていく。カワードはその場に佇んで、笛の音を聞いていた。
不意に、メロディが変わった。それまでの静かなものから、テンポの良いメロディへ。
一曲終わるとまた別の曲。今度の曲は、カワードにも聞き覚えがあった。
カワードが戻ってきたとき、ユリンはこの曲を吹いていた。
静かで優しく、けれどどこかに芯が通っているような、そんな曲。目を閉じて聞いていると、まるで包み込まれるような感覚を覚える。
「カワード?」
呼びかけられて、カワードはびくりと身体を震わせた。ユリンは立ち上がり、屋根の縁まで歩いて来る。
「あ――」
ユリンの動きに気付いたカワードが、危ない、と言うより早く、ユリンは屋根から飛び降りていた。
そのまま転落するかと思われたが、ユリンはふわりと地面に足を付ける。
「ご、ごめん。邪魔、しちゃって」
「ううん、大丈夫」
笛を腰の笛袋に収めるユリン。その動作を目で追っていると、ユリンは手を止め、ちょっと悪戯っぽい笑みを見せた。
「吹いてみる?」
「い、いや、いいよ。吹き方とか、分からないし」
そっか、とユリンは改めて笛を戻した。
ぐう、と再びカワードの腹が鳴る。ユリンはちょっとの間、青い目を瞬いていたが、やがて首を傾げて口を開いた。
「えーと、もしかして、お腹空いてる?」
真っ赤になったカワードが答える前に、ユリンはぽんと手を叩いた。ちょっと待って、と言い置いて、ガラスもはまっていない窓へ向かって、壁を駆け上がる。
間もなく戻ってきたユリンの手には、アップルパイの包みが一つ。
「間違って買っちゃったんだ。リンゴ、好きなんだよね? ほっといて傷むのも嫌だし、貰ってってくれない?」
でも、と中々包みを受け取ろうとしないカワードに、ユリンは肩を竦めてみせる。
「いや、実はね、あたし火が通ったリンゴってあんまり好きじゃなくってさ。貰ってくれると正直すごく助かる」
ようやく、カワードは包みに手を伸ばした。
「ありがとう」
「こちらこそ」
じゃあねー、と手を振って、ユリンが廃墟の中に引っ込むのを見届けてから、カワードも夜道を歩きだした。
吹き過ぎる風は冷やりと肌に触れたけれど、カワードの心はふわりと温かかった。