top of page

鳥は過去より飛び来たる

「ん、何だ、それ」
 アツヤが何やら弄っているのに気付き、ナーヴェールは横からそれを覗き込んだ。
「ラジオ……らしいな。片付けをしていて見付けたんだ」
 そう答えつつ、アツヤの手は、機械をあちこちいじっている。
 ふうん、と言いつつ、ナーヴェールは何か思い出したかのように、かしかしと亜麻色の髪を引っ掻き回した。
「そういや、父さんが昔、それ弄ってたっけな」
 ふとそんな記憶を思い出し、ナーヴェールはとんとんと二階への階段を上がっていった。
 その夜、喉の渇きを覚えたナーヴェールは、毛布や古布を集めたベッドから抜け出して、階段を静かに下りていた。
 水を飲むなら台所に行かねばならない。一階に下りて、いつものようにソファで寝ているアツヤを起こさないように部屋を突っ切り、コップに半分ほど水を汲むと、それを一息に飲み干した。
 二階に戻ろうと身体を回したナーヴェールの目が、ふとテーブルに置かれていたラジオに吸い寄せられる。そっと手を伸ばし、ラジオを腕の中に収めると、そのまま猫のように静かに、二階への階段を上って行った。
 ラジオを床に置き、ダイヤルを弄る。初めは何も聞こえなかったが、しばらくすると、ザザ、とノイズが聞こえ始めた。
 じっと耳を澄ませて聞いていると、ノイズの奥からかすかに、声らしきものが聞こえてくる。もっとはっきり聞けないかと、ダイヤルを少しずつ回していると、徐々に声は大きくなってきた。どうやら、女の声らしい。ノイズはどうしても取れなかったが、聞こえてくる声は何種類かあり、ナーヴェールは寝ようとしていたことも忘れて、ダイヤルを弄っては声を聞いていた。
「ナーヴェール、元気にしていますか?」
 ナーヴェールは驚いてラジオをまじまじと見た。声は知らない女の声だが、呼ばれたのは確かに自分の名前だ。
「この手紙が読まれる頃、あなたは十歳になっているはずね。どんな子になっているかしら。きっと、父さんに似て、優しい、いい子に育ってくれていると思います。
 十歳のあなたは、毎日をどう過ごしていますか? 多分、まだコンコルディアで暮らしていることと思います。コンコルディアは、生きていくにはとても厳しいところだけど、どうか折れないで、強く育って欲しいです。
 ナーヴェール。私はきっと、あなたのことにあれこれと口を出してしまうでしょう。でもそれは、あなたを可愛がっているからで、本当は、元気で、あなたの父さんみたいな、優しい子に育ってくれればいいと思っています。……父さんみたいに、無鉄砲なところまでは、似なくてもいいけれど。多分、未来の……十歳のあなたは、今ほど手がかからないくらいになっているのでしょう。それを思うと少し寂しいけれど、あなたの成長がうれしいことも事実です。そしてもっと大きくなったら、父さんと母さんみたいに、お互いに好きになれる人を見つけて、幸せになって欲しい。
 最後に、ナーヴェール。あなたの住んでいるところは、とても危険なところです。だから、今こうして書かないと、きちんと言える機会が来るかどうか分からないから、書いておきます。これは、母さんや父さんが、一番あなたに望むことです。
 生きてください。何があっても、生きて、笑ってください。難しいかもしれない、もしかしたら、これを聞いているあなたは、一人ぽっちかもしれない。大事な人がいなくなって、何も明るいことなんてないって、そう思っているかもしれない。でも、絶対にそんなことはないから。どんなに雨が降っても、いつか雲の隙間から、日差しが差し込むように。
 だからどうか、生きて笑って。これまでいろいろ書いてきたけれど、ナーヴェール、あなたに本当に覚えておいてほしいのは、このことだから。
 今ここにいるナーヴェール、生まれてきてくれて、ありがとう。そして、十歳のナーヴェール、あなたがどうか、幸せでありますように。
XXXX年XX月 愛をこめて 二コラ・アジェ」
 ラジオから流れていた声を、ナーヴェールは最後まで身動きせずに聞いていた。やがて、ぶかぶかのシャツの袖でぐしぐしと目元を拭う。
 ラジオをそっと棚に置き、ナーヴェールはベッドに潜り込んだ。
 翌朝、朝食を並べていたアツヤは、ラジオを抱えて下りてきたナーヴェールの顔を見て、思わず、何かあったのかと聞かずにはいられなかった。
 目を赤く腫らしたナーヴェールは、何でもないよ、と答える。その声は、それまでほどぶっきらぼうな調子ではなかった。
「今日、ちょっと出かけてくる」
 並べた朝食を食べながら、ナーヴェールがそう言い出した。家族の死からこちら、自分から進んで出かけようとしなかったナーヴェールを知っているだけに、アツヤはこの変化に驚いて少年を見た。何だよ、と口を尖らせる少年に、いや、と笑って誤魔化す。
「気をつけてな」
「おー」
 おどけた様子でぴしっと敬礼などして見せ、家を出て行く少年を、アツヤは怪訝そうな、どこかほっとしたような表情で眺めていた。

bottom of page